先日、祖父が亡くなった。86歳だった。
5年前に脚立から落ちて背骨を折って入院している間に脳梗塞を起こし、そこからずっと入院していて、それこそ寝たきりの状態だった。脳梗塞を起こしたのも病院だったからすぐに対処してもらえて、集中治療室に入っていた最初の頃は話も意思疎通もできたし、身体も少しは動かすことができていた。看護師さんにリハビリをしてもらったりしていたのに、だんだん喋れなくなって、動けなくなっていって、話しかける言葉もここ一年は聞こえてるのかどうなのかなあ、というぐらいだった。脳梗塞になっても最初は喋れる状態だったし、集中治療室から出たらどんどん良くなるものと思っていたから、そういうものではないんだなとは思ってはみても、やっぱりそこはどういう理由でそうなってしまうのかはよくわからなかった。
わたしは祖父にとっては初孫で、可愛がってもらったと思う。わたしからは何かをできたかはわからないけれど、仲良くしていたんじゃないかなとは思う。よく駅前の喫茶店に連れて行ってもらったなあとか、プールにも連れて行ってもらったなあとか、夏休みの自由研究のために知り合いの田んぼを見学させてくれたこともあったし、大きくなってからは運転の練習のために祖父を助手席に乗せて田舎道をのろのろ走ったこともあるし、二人でカラオケ喫茶に行ったこともあるし、いろんなことがあったなあと、思い出していた。入院中も、わりとお見舞いには行った方だと思う。でも、こんなに急だったらもうちょっとお見舞い行けたら良かったかなあとか、その時は結構行っているつもりではいたけれど、やっぱり後からはそんな風に思ってしまう。

お通夜と告別式を終えてひと段落ついて、それまでや今思うこと、自分の気持ちを整理して書き留めておこうと思ったので、今これを書いている。
悲しいというよりは、寂しい、が正しいのかな。ずっとベッドの上で、自分で寝返りも打てないし、見える景色も毎日同じだったから、きっとつまらなかっただろう。それに、倒れてから長かったのに、すごくがんばってくれたなと思っている。だから、お疲れさま、がんばってくれてありがとうと声をかけた。でも、やっぱり数日前まで目を開けて息をして、少しでも動いている姿がまぶたの裏に残っている人が目を閉じて動かなくなっている姿を見ると、涙はどうしても出てしまった。生きていたのに、もういないんだということを実感してしまうとやっぱりだめなんだなあ。
悲しさも寂しさもあるけれど、天寿を全うしたと言えると思うので、お通夜も告別式も、そんなに悲壮感にあふれたものではなく、今までの感謝とか、思い出を語り合える、和やかな雰囲気だった。
みんな、いい顔をしていると言ってくれていた。
おじいちゃん、お疲れさま。ゆっくり休んでね。