好奇心、知的欲求?

最近は宗教に興味があったり(あぶなくないよ)、なんとなく神様という存在を考えてみたりする。もともと神話とか、遺跡とか(遺跡って基本当時のひとたちの信仰から生まれるものかなーとおもったり)そういったものが好きで調べたりしていたけど、いまは、ひとびとの信仰の的、というかなんというか、あー、うーん。個人的には日本古来の神様に対する考え方、たとえば台所の神様だったり、たんすの神様だったり、この世に存在するすべてのものに神様が宿っているとかいわゆる八百万の神様という考え方がすきだなあ。だから唯一神教のひとたちの考えはすこし理解しがたいところがある。だからこそ、興味も生まれるんだけれども。それに、学んでいないからこそわからないところや理解できないところも多くあるんだろうともおもうし。おもしろいよなあ、いろんなことを本当はもっと知りたい。
まあいままで(基本的には)神様なんていないよって考えだったけど、出雲大社に行って、ああやっぱり神様っているのかもなとおもった。それは救いを求める存在とか教えを請う存在とか絶対的なものじゃなくって、なんかもっと、身近にあって大切にするべき存在というか。なんかそんなかんじ。本殿に入ることができて、それを体感できたこと、とくに八雲の図をこの目で見ることができたのはとてもいい体験だったとおもう。何百年もまったく色褪せないなんて信じられない。神様がそこにいて、その場所を守っているからかなあとそんな風に感じた旅でした。
宗教だけじゃなくって、英語の勉強したいなーとかいまさら留学したいなーとかいう気持ちもなぜかふつふつと。なにかなあ、時間の自由がなくなるといろんな欲求がうまれるものなのかしら。まあ大学時代も連続休みなんて取れなかったけどさ〜。知りたいことはたくさんあるよね。